『読書』と『読解』が交わる究極の一点とは?

いつもブログを読んでいただき、誠にありがとうございます。
受験本番が近づいてきましたね。
筆者は胃が痛くなります😅
何年やっても変わりません😅
小心者の筆者は「他にできることはないか」と毎日関わっている生徒の答案を見て、あれこれ考えています。
残りわずかの期間ですが、後悔なきよう子どもたちとしっかり向き合っていこうと思っています。

そんな中、とある教え子のことを久しぶりに思い出しましたので、今回は少し話を遡りたいと思います。
私は本ブログを開始して二回目の「国語の学習における『読書』の効果とは?」というブログで「究極の一点において『読書』と『読解』は交わる」というお話をさせていただきました。
今回はこの部分を掘り起こしたいと思います。そのため、読解メソッドの説明というテーマからは離れてしまいますがご了承ください🙇

では、筆者が考える『読書』と『読解』が交わる究極の一点とは何か?
(※完全に私の個人の意見です。つまり、完全な独り言と考えてください🙇)
それは「作者との対話」です。

「どういうこと?」と思われるかもしれませんね😅
しかし、筆者は非常に真剣にそう思っています。

とある論説文を読み、作者の意見を正しく読み解き、それに対して心の中で反論してみたり、作者が何故このような論理展開で書こうと思ったのかと様々思考を巡らせる。また、とある小説を読み、文章を正しく読み解き、主題を正しくつかみ、なぜ今この時代に作者はこんなメッセージを社会に伝えたいと思ったのかと様々思考を巡らせる 等々。

私のような一介の塾講師がこんなことを言うのも変な話ですが、上記のような感覚をつかむと文章を探索しながら読む面白さが分かり、子どもたちは主体的に文章を読解しようという姿勢に変わります。そうなると、子どもたちは学習において自立するため、学力を自力で高めてくれます。
そのため、私は常に上記のような感覚を子どもたちにつかんでもらうことを目指し、指導しています。
長文問題を指導する際、土台となる読解スキルを伝えることは当然のこと、その文章内容に対して「こういう意見もあってもいいとは思わないか?」「作者がここでこの事実を説明したことにはこういう狙いがあると思う。」「この作者は類比の角度が多いから少ししつこい性格かも?」など「作者と対話」することの楽しさをいろんな角度から刺激することを意識しています。

ちなみに、私が今まで指導してきた数えきれない小学生の中で上記の感覚において印象に残っている生徒が二名います。
そのうち、一人は誰もが知る某有名男子最難関中学に進学されました。(※この生徒が冒頭に述べた思い出した教え子です)
その生徒の国語のテキストやテストの問題用紙にはいつもびっしりメモが書かれていました。
模擬試験の時、「作者との対話」に夢中になりすぎて問題を解くことを忘れ、テスト終了10分ほど前に急いで問題を解いてしまうこともある生徒でした。(※それでも高得点を取ってきていましたが)

ちなみに、色々独り言を述べさせていただきましたが、今回の「作者との対話」という感覚を子どもたちに求めることは非常にレベルの高いことです。しかし、私は不可能ではないと思っていますし、せっかくしんどい思いをして中学受験の学習に頑張って取り組むのですから、子どもたちにこの感覚をつかんでもらえるようこれからも指導することを目指したいと考えています。
そのためにも、まずは土台となる読解スキルの習得が大切というオチで今回のブログを〆させていただきます。

チアスタディのカリキュラムはこちら

いかがでしたか?
少しでもお役に立てる独り言になれば幸いです。
12/23をめどに更新予定です。
それでは、また。